うたうたい

おちばがいっぱい
わさわさわあさ
ふんであるくよ
がさがさがあさ
がっこういきましょ
ごきげんさん
(おちばのうた)

通学路にどっさりと降る落ち葉の海を、息子と楽しんでいるときに作った歌である。
とにかくご機嫌良く、さっさと学校にいってほしい、というきもちが溢れでている。
こうして文字に起こすと、なんちゅう歌だ、と我ながら思う。

歌いながら、歌うように、生きたい。と常々おもっている。
なんて言うと、歌に命を注ぐ歌手や音楽家みたいだが、私のいう歌は上記にもあるように、もっと身近で、もっとくだらなくて、もっとずるい、自分のためのものだ。

10年前、地が揺れ、つくりものみたいな恐ろしい現実をみた。
同時に夫の会社は倒産し、私は復帰予定の職を失った。
腕の中にはふにゃふにゃの赤ん坊がにこにこと笑っていた。
市川から東村山に居を移したところで、同世代の子供と息子を見比べる機会が増え、どうもおかしいなと思うようになった。
そのおかしさにはっきりと診断をつけてもらえることもなく、ほぼワンオペの困難で謎に満ちた子育てに私が必死になっているうちに、夫は新しい職場の人間関係でうつ病のようになり、おまけに多額の借金までこさえていた。
あれよあれよと息子の障害がくっきりと輪郭を持ってきて、療育に通い始め、障害について検索する日々が続いた。

短期間にあっちこっちからやってくる、現実という名の強風にびゅううと煽られ、足元がぐらりぐらりと揺れ、真っ直ぐ立っていられないのを感じながら「おいおい、おいおい、おいおいおいお~い」とうすら笑いを浮かべながら呟くことしかできなかった。
自分自身がどんなに頑張っても、どうにもならないことがあるのだということを知った。
もう笑っちゃうしかない、もう歌っちゃうしかない。
私は自分の力で突き進もうと努力することをやめ、やってきた出来事を受け流し、流れるように生きることにした。
つまりあきらめたのだ、いろんなことを。

それから自分をごまかすために歌を歌った。
辛いことに気がつかないように。
歌えば息子は笑った。
私はその笑顔につられて笑った。
そしてまた歌う。
歌うことは私を救ってくれた。
息子と過ごす時間のなかには、辛さや救いとは無縁にうまれてくる歌もあった。
そういう歌は、奥行きがあってやわらかく、あたたかだったので、書き記し作品にした。
その作品がさらに私を救ってくれた。
その思わぬご褒美に、私の脳は歌うことを幸せの種と判断してどんどん歌う。
歌う、歌う、歌う。

私の歌は本当にくだらない。
息子がすきなフレーズをたくさんいれてどうでもいい歌を歌う。
蝉のうた
ごしごし洗おのうた
あさがきたのうた
ふたしてちょうだいのうた(息子はお風呂の蓋係)

適当なメロディが浮かぶ時もあるが、ほとんどが童謡の替え歌だ。
最近は通学時や休日のお出かけ時など息子からのリクエスト曲も増えてきたが、いまだに歯を磨くとき、体温計で熱を計るとき、お風呂に浸かるとき、顔を洗うときなど、渾身のオリジナル曲で身辺自立の練習をしている。

昨年、息子があるYouTubeチャンネルに夢中になっている時期があった。
毎日毎日、1日になんどもなんどもその動画を再生し続ける。
再生しながら本を開いたり、ボールやぬいぐるみと戯れたりしてリラックスしているのだ。
その動画は、女性がどうにも微妙な歌声で、ひたすら童謡を歌っているものだった。
画像もアバターで作られたちょっと気味の悪い女性の生首が歌に合わせて揺れているだけだ。
いったいこれのなにがそんなにおもしろいのか、不思議に思い夫に話してみると、彼は「この声、君に似てるよね」と言った。

確かに、歌うことの理由のひとつに、息子に何か残るといいという思いもあった。
彼の自閉症という特性上、どうしても困った顔、悲しい顔、怒った顔ばかり見せてしまうことも多く、そんな母親の顔ばかり記憶に残るのは忍びない。
私の下手くそな歌が、声が、お互いかわした笑顔が、息子のどこかの引き出しにしまわれるといいな、そして大人になってつらいことがあったとき、ひっぱりだして心休まるといいな、といういやらしい思惑がないこともなかったのだ。
自分をだまし、あきらめ、辛い現実から逃げるためから始まった歌が、息子のなかで息づいているのかもしれない。
横隔膜のあたりがほわっとあたたかくなり、鼻の奥がツンとした。

先日父が病床のすえ亡くなったのだが、どんどん弱っていく父に歌を歌いたいという気持ちが募った。唐突に。
歌い、笑顔を交わせたら、と願った。
でもはずかしさが先に立ち、できなかった。
ただただ手をさすり、黙って泣くことしかできなかった。
そもそも父と一緒に歌を歌ったことなど、思いかえす限りいちどもないのだけれど。

くだらなくて、ずるくて、日々の糧で、生きることで、とりとめのない、自分だけのもの。
わたしの歌。