「固まらなかったゼリー」
わたしの父は料理に向かない性格です。
お湯を沸かそうとすると、途中で他のことに気が向いてしまいます。
そのまま火を止めるのを忘れるので、カップラーメンでさえまともに作れるのかしら?と心配になるほどです。
もちろん包丁を握る姿なんて、いままで見たことがありません。
そんな父が、一度だけ、わたしにおやつを作ってくれたことがあります。
わたしが幼稚園生だった頃、テレビで「かんてんぱぱ」という寒天メーカが製造するゼリーの素のコマーシャルが流れていました。
熱湯に溶かして冷やすだけでゼリーが作れる魔法のような粉で、アップル、オレンジ、ピーチ、グレープなど、豊富なフルーツ味のラインナップが揃っていました。
テレビの向こうでカラフルなゼリーがぷるぷる輝くコマーシャルに魅了されたわたしは、ゼリーが食べてみたいと、両親にお願いしました。
しばらくすると母がそれを買ってきてくれて、何を思ったのか「かんてん”ぱぱ”の商品だからパパ(父)に作ってもらおう」と言い出しました。
簡単に作れるから大丈夫と母に説得されて、渋々ながら父が台所に立ちました。
わたしは憧れのゼリーがついに食べられるという期待に胸を膨らませて、その完成をいまかいまかと楽しみに待っていました。
しかし、待てど暮らせどゼリーは完成しませんでした。
料理に不慣れな父は水の分量を間違えて、ゼリーはシャバシャバになってしまったのです。
いくら冷やしても永遠に固まらないゼリーを目の前に、幼かったわたしは理解ができず、戸惑い、悲しくなって泣いてしまいました。
あれから何十年と経ちますが、「かんてんぱぱ」の名前を耳にするたび、いまだに食べられなかったゼリーのことを思い出します。
しかし、いまは不思議と悲しい気持ちにはなりません。
時間が経つにつれて、ゼリーへの残念な思いはいつの間にか消え、普段まったく料理をしない父が頑張っておやつを作ってくれたという、やさしい思い出に変わりました。
もしもあのとき普通に美味しくゼリーを食べられていたら、父が作ってくれたことなんてすっかり忘れてしまっている気がします。
わたしにとって失敗作のゼリーは、父が振る舞ってくれた唯一の手料理で、いまでも、いつまでも、みずみずしく記憶に残っています。