わたしのともだち

明けない夜はない。
止まない雨はない。

使い古されて鮮度も落ち、ありきたりで色気のないこの言葉を、この2年近くなんどもなんどもの口の中でもごもごとつぶやいていた。

そういえば中学生の時の同級生は、同じような意味をもって「不景気のあとは好景気が必ずやってくるんだよ!」と失恋したわたしに言ったっけ。
社会で習いたてのその言葉で、失恋の傷を癒そうとしてくれた友達。
中学生とは思えない大人びた美人で、経験豊富だった友達。
今はどこで何をしているのかもわからない友達。

わたしは友達に恵まれていると思う。
人生の分かれ道に、必ず友達の存在があった。
そのときに必要な人が必ずそばにいて、わたしを支えてくれた。
まるで神様からの贈り物みたいに、その問題が解決すると疎遠になる友達もいれば、それ以降ずっと仲のいい友達もいる。

この2年は、わたしにとって生活の根底が覆されるような出来事が起き、混乱と混沌の日々だった。
そんなわたしに並走してくれたふたりの友人について書いてみたいと思う。

YちゃんとUちゃんは、息子の保育園で知り合ったママ友だ。
息子の障害について相談に乗ってくれたり、仕事を応援してくれたり、楽しいことを思いついて遊びに誘えばすぐ乗ってきてくれる。
息子と同い年のふたりのこどもたちの話も、成長の過程が異なるせいか、どんな話も興味深く面白い。

Yちゃんは、おおらかで気遣いの細やかな女性である。
争いごとが嫌いで、すべてをほわんとやわらかく受け止める。
ちなみに体も柔らかすぎて、走るとほわんほわんと抜けていくため足は遅い。
おっとりタイプかと思いきや、かなりの早口で、手先も器用で仕事が早い。
夫と息子をこよなく愛する、そこそこオタクな、いわゆるサブカル女子でセンスのいいおしゃれさんだ。

Uちゃんは目力に迫力のある美人である。
たくましく生きる働くシングルマザーであり、もう無理しないで・・・と思うくらい頑張り屋さん。
変な男に言い寄られることが多いせいか、友達や子供に対しては激甘なのに男性に対してはキレッキレに辛口なところがおもしろい。
彼女の娘のHちゃんは人生何周目でしょうか、と思わず問いかけたくなるくらい人格がすばらしく、当時園児の娘の言葉に翻弄されるUちゃんはまるで親子逆転していて、現在中学生になりさらにパワーアップしたHちゃんとのやりとりは何度聞いても愉快だ。

さて、我が家に激震が走ったこの事件は、ざっくり言えば夫の裏切り行為であった。
なんどもなんども嘘を重ね、息子とわたしをないがしろにした。
おかげで息子の精神は不安定になり、わたしはその対処に追われながら、半年間しっぽを出すのをかすんだ世界をながめるようにぼんやりと過ごした。
やっと証拠を掴み、たすけて、と連絡をするとふたりは文字通りすっとんできてくれ、いままでのこと、これからのことについてなんどもなんども相談に乗ってくれた。
ふたりは何があってもわたしと息子の味方だった。
意気消沈により怒りさえ浮かばない状況であったので、わたしの代わりに怒り狂い、言葉にしない部分まで寄り添ってくれた。

昨年の秋、この事態収束の決断もできずうじうじと悩んでいたとき、「あきこちゃんを元気づけよう」と大人の遠足を計画してくれた。
Yちゃんとそのご主人のTくん、Uちゃんとわたしの四人で、T君の運転する車に乗り込み長野県原村まで出かけた。
わたしの知人がそこで医療系のイベントを開催していたので、その参加と美味しいものと秋の景色を楽しむ計画であった。

彼らはいつも自然体である。
わたしがどこかうわのそらで、視線さだまらないような状態であっても、いつものように冗談をいい、いつものように笑う。
気遣いながら、気遣う様子を見せない。
話したければ話せば良い、というやわらかさ。
これって意外と難しいことで、人生経験と技術がいる。
わたしはどちらかというと気遣いが表に出過ぎて空回ってしまうタイプなので、ふたりに気遣われつつ気遣われていないということに気がついた時、この技術を身につけたいものだなと、気遣われている張本人にもかかわらず思ったりしていた。

寒いくらいの秋の1日に、森で深呼吸した。
あまがえるがたくさんいる森で、ちいさなかわいい緑色を追いかけた。
風光明媚、幻想的な景色であると聞いて一度行ってみたかった御射鹿池を見にいき、雨雲で少々残念な景色であったことにがっかりしつつもなんだか心がすうとした。
それからYちゃんが調べてくれたお店に行き、目が飛び出るくらい美味しいお蕎麦を食べた。
ただ四人で笑いあった。
たくさんたくさん、笑った。
そうして帰ってきたら、つきものが落ちたみたいになっていて、すべての悩みがばかばかしいことのように思えていた。

ああしたらこうなるし、こうしたらああなる。
こうしたらだめだし、ああしたらうまくいかない。
むすこの幸せと未来のための最善の決断はなんだろうか。
わたし自信が幸せになるための決断はどれなのだろうか。
そうずっと考え続けていたことの答えが、すとん、と手のひらに落ちてきた。
ただ大好きな友達といつもと違う場所で過ごしただけで、数ヶ月悩みすぎて気が狂いそうになっていたことの答えがでた。
それは本当に不思議な体験だった。

そうしてわたしが出した答えを、やっぱりふたりは当たり前みたいに受け止めてくれた。
少々常識外れな結論だったが、彼女たちは「あきこちゃんが出した答えならば、応援する」と言ってくれた。
そして「なんどもなんども考えては行動しては、迷いそれを繰り返して、迷走することもあって心配もしたけれど、それでも諦めず考え続けて、こうしてひとりで答えをだしたあきこちゃんを尊敬する」といってくれた。
その言葉は、これからずっと、わたしの胸で輝き続ける勲章みたいなものになった。
わたしが今こうして立っていられるのは、ふたりのおかげだと言っても全然おおげさではない。

友達って宝物だ。
人生において大切なものはと聞かれたら、迷いなく答える。
例えばわたしがこのさき、心から愛して添い遂げたいと思う人に出会ったとしても、その人について話したり相談する友達がいなければちっとも楽しくない。
息子のことももちろん宝物だし、世界一愛しているけれど、その息子のことを話せる友達がいなかったら、わたしはきっと宇宙一孤独だ。

そんな友達がいてくれる己の幸運を思う。
そしてわたしも、大切な友達の宝物であれたら幸せだなと思う。