「父のコロッケ」松塚裕子さんー寄稿集 父の手料理ー

「父のコロッケ」

なんか食べたいものあるか?
実家に帰る機会がある度に父が必ず聞くその言葉に、私はいったい何度「コロッケ」と答えたことだろう。

父の作るコロッケは、俵型のおむすびみたいな形。
黄金色したサクサクの衣の中には、ひき肉とたまねぎのうまみをふんだんにたくわえた、しっとりしたじゃがいものタネが詰まっている。
クリーミーでほんのりと甘さを感じるやさしい味。揚げ物ながら衣が薄めなので、するするとお腹に入ってしまう。
揚げたてにウスターソースとケチャップを混ぜたものをかけるのも定番だ。
こんがりと並ぶその素朴な佇まいは、ずんぐりと小柄で日に焼けた父の風貌とどことなく似ている気もする。

もともとこれは、小さな頃から食べてきた母の料理だった。
母が亡くなった年の冬、父と姉と私で集まった時に、ふとコロッケの話になった。
肉屋やスーパーのものは平べったい小判型をしているのに、うちのは俵型だったよね、あれ美味しかったよね、と。
それから3人で台所に立ち、ああでもない、こうでもないと言い合いながら作った。
出来上がった揚げたてを食べながら、そうか、自分でも作れるんだな…と嬉しそうにする父がいた。
ぽっかりと空いた穴を皆が抱えていた時期だったけれど、懐かしい味を再現できた喜びと、久しぶりに皆で囲む夕食の嬉しさで満たされた、しみじみといい時間だった。あの日のコロッケは私たち家族にとって、ふわりと差し込んだ新しい光だったように思う。

それから父は来客のたび、私たちの帰省のたび、独自の工夫を重ねコロッケを作り続けた。
そして今では、他の追随を許さないほどに腕をあげた。
訪ねてきた友人からリクエストされることも多いらしく、得意な料理があると生きていく自信になると語るほどまでになった。

先日、改めて作り方を聞いてみた。
茹で、つぶし、炒め、混ぜ、成形し、さらに衣をつけて揚げるという、その工程の多さに気が遠くなった。
いつも実家に着くころには、もう揚げるだけという状態で並んでいるのでつい忘れていたけれど、本当に手間と時間のかかる料理なのだ。
俺は時間があるし暇だからサ、と笑って言うけれど、きっと前の日から買い物をして準備してくれているのだろう。
私も料理は好きな方だし、食べたくなったら自分で作ればいいのだけれど。
それでもしばらくは、願わくばできるだけ長く、コロッケは父が作る揚げたてを食べるのが一番で、私はもっぱら食べる専門、そんな料理であってほしい。