いつのことだったろうか。
公園の樹々のあいだを自転車で駆け抜けるとふわんとうっすら甘い砂糖菓子のようなどこか懐かしいような風がぽうぽうと吹いてきた。
秋深まるころになると桂の樹から漂ってくるのだと、ずいぶんと鼻をクンクンさせて知った。
頁をめくれば、鮮やかに香りたち、さまざまな色がどこか懐かしい風をはらんでざわめいて、いつしか閉ざされ忘れ去られていた記憶の扉を、回路を結び、ひらく。
おばあちゃんの食器棚は、そんな本かもしれない。
おとなのおとぎ話のように綴られることで、いっそう真に迫ったものとなっている気がする。
長きに渡り、手しごとにまつわる人々と社会のありようとをみつめつづけてきた著者だからこそ、そんなふうにファンタジーにしてリアルなことばが漣のごとく響く。
現実を濾して上澄みを一滴づつぽとりぽとりとあつめていったら、そんなことばで書けるのだろうか。
どれだけの作業ののちに。
さまざまな光と影とに満ちたせかいにあって、だからこそ、それでも、明るいほうへ、ひなたの奏でる音にこころよせ、耳を澄ませてありつづけようという著者のつよい意志が一々の物語をつらぬき、おばあちゃんのブランケットの温もりとなって読後に残る。
この温もりのバトンを、北の国へと旅立つ親友にわたしは贈った。
長野麻紀子さんの文章にとても惹かれます。
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