恋する紙宝石

2年ぶりのヒナタノオトさんの個展です。
2年前、「青の王国」のあとにすぐ2年後の個展のお話をいただき、そのときから「恋」をテーマにしようと構想を練ってきました。

「恋」なんぞ遠いもの、忘れかけていたもの、懐かしいもの。
そんなふうに思っていましたが、にわかに周囲に「恋する」人々が増え、自分自身も恋に落ち、友人やわたしの子供たちは恋する思春期真っ只中で・・・
今頃になって妙に「恋」というものが身近になったのがきっかけでした。
遠い昔の「恋」とは、どこか違う。
もう一度この原始な感情に向き合ってみたい。


【 恋 】コヒ
特定の相手に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥感に駆られる心的状態。
(新明解国語辞典より)

①一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情。
②植物や土地などに寄せる思慕の情。
(広辞苑より)

ふたつの辞書で調べてみると、ずいぶん趣の違う解説が出てきました。
どちらも確かに、と腑に落ちます。
若かりし頃の恋は、新明解国語辞典に近く、今思う恋は広辞苑に近い。
恋とはずいぶんと幅広い感情なのだなあと改めて思いました。
確かに家族や、動物や、ある季節、ある香り、懐かしい場所などでも、胸がきゅーんとしめつけられることがあります。
あの感じは好きな人を思う時と似ている。

わたしはその「恋」をなぞりながら、この2年ひたすら文章を、いつも持ち歩くメモ帳・スマホのメモ機能に書きまくりました。
正直ひくほどの量です。

昔の恋を思い出したり、
ドラマや映画の登場人物に感情移入したり、
恋ができなくてぶつぶつとSNSで呟く婚活女性を観察したり、
友人の恋愛相談に乗りながら情報収集したり。
それからあまり向き合ってこなかった自分自身の感情を掘り起こしたり。

そうこうして「恋」というものを私なりに幅広く意味を持たせ、フィクション・ノンフィクションを織り交ぜた、主に息子、父、H氏、三人の男たちに宛てた壮大なラブレターのようなものが大量に生まれたのでした。

いま、毎日目の前で笑い泣き、愛おしい感情をよびおこす息子。
毎朝抱きしめておはようといい、手をつないで通学し、小さなサインで「歌って」とおねだりしてくる息子。
自閉症と知的障害を併せ持ち、言葉をもたない独特の息子ではありますが、何をしても愛おしい。
大変だけど、愛おしい。
この先たったひとりにしてしまった後、どうかどうか幸せでいて、と毎日のように祈ってしまう。
いつもわたしの口元を緩ませる存在。世界一大切な存在。

亡き面影が日々のなかでふっと目の前をよぎり、あの時の表情を、あのときの声を、思い出す。
前回の葉で父のことを書きましたが、父は尊敬する対象であるとともに、やっぱり愛おしいのでした。
わたしの夢に出てくるダントツNo.1でもあります。
大変なことも苦しいことも娘たちには見せず、飄々として生き、いつも笑顔で、前向きであることを諦めなかった父。
父の破願は、息子と似ています。
裏表がない無邪気な笑顔の持ち主でした。

死にたくなるような辛い時期を一緒に乗り越え、恋人のような友のような不可思議な関係を深めたH氏。
彼とは奇跡のように出会い、約1年間支え合って過ごし、そして今は遠く離れた場所で暮らしています。
「そうでした、恋とはこういうものでした」と気付かせてくれた直接の存在でもあり、その苦しさも一緒に思い出させてくれました。
疎遠になってしまいましたが、暗闇と輝きが交差したあの1年は、永遠にお互いの中で響いていてほしい、そしていつかまた会いたいと願っている人です。

彼ら三人を通して生まれたたくさんの言葉を目の前に広げて、さてどうしたものかと思案していた時に立ち上がってきたのが、この恋という感情はずいぶん多面体であるなあ、ということでした。

そこに込められたたったひとりへ想いが、
他の人へのきもちにもつながっているように思えるのでした。
ある角度からはあのひとへ、ある角度からはあのひとへ。
特定の誰かに向けて書いた言葉が、他の対象に向けてにも読める、ということに気がついたことが、ビジュアルとして宝石を使おうと考えたきっかけです。

恋人、家族、両親、兄妹、友人、あこがれの人。

あの人、あの場所、あの季節、あの風景、あの香り、あの歌。

あなたの恋はどんなものでしょうか。

にしむらあきこ -恋する紙宝石-
2024/2/17(土)〜2/25(日)
11:00~18:00
会期中 月曜・金曜 休み
最終日 16:00まで