ぐるり、円環を感じた日

◎個人的な心の記録で綴っています。長文になりますがご容赦ください。

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5月24日は、私にはちょっと特別な日です。
40歳で白血病で亡くなった弟の誕生日。
今年で還暦になったはずでした。

そして、私が小学1年生の1969年の5月24日は、母方の祖母の亡くなった日でもあります。
60歳でした。
おばあちゃん子だった記憶があるのですが、わずか6年半ほどしか一緒にいられなかったのですね。
たくさんの優しさをもらいました。

おばあちゃんの名前は「はる」。
そう、昨年本になった「おばあちゃんの食器棚」の主人公の名前です。
はるおばあちゃんも、弟も、遠いところへ行ってしまったけれど、
私の中では確かに存在しているのを感じます。

そんな5月24日、小さなセンチメンタルジャーニーに出かけました。
正確に書けば、この日に出かけようと思ったのではなくて、たまたま都合がついたのがこの日だったのですが。

ウサ村さんと行きたいね、と話していた「こころの本屋」さん。
そして、ぜひ近くの「熊谷守一美術館」にも行こうと。
このふたつが開いていて、私たちの都合がつく日が5月24日だったのでした。

東長崎。
この最寄り駅の町に、大学二年生の19歳から20歳の1年間、アパートを借りていました。
私が熊谷守一の絵を知り、惹かれたのは、23歳の社会人1年目のとき。
NHK出版の「俳句」テキストの表紙が出会いでした。
すっかり魅せられ、調べてみると、私が以前借りていたアパートから徒歩3分くらいのところが家だったのです。

という訳で、「こころの本屋さん」「熊谷守一美術館」旧「寿荘」(愛しき昭和なネーミング!)を訪ねることに。

せっかくなので、新しくなった母校も見てこよう。
それなら、江古田でランチをしよう。
そう思って、真っ先に調べてみたのが「魔法使いの弟子」でした。

「まほでし」と呼んでいたそのイタリアンのお店。
日芸よりも武蔵野音大にほど近く、当時としてはかなりお洒落なお店でした。
喫茶店のスパゲッティが一般的だった時代に、今のようなパスタを出してくれていて。

このお店に連れて行ってくれたのは、日置君。
のちに料理本の写真で第一人者となった日置武晴さんでした。
大学のクラブ(広告研究会)の1つ後輩で、とても仲良しだったのです。
日置君には、パスタをスプーンの上で丸める食べ方も教えてもらったなぁ。
数名の仲間で三宅島や信州や飛騨の方まで車で出かけたり。
そして、今の仕事につながる私の金沢移転の際には、レンタカー日帰りで引っ越しをしてくれたのでした。
仲良しの姉弟みたいな友だちで、学生時代ならではの思い出豊かな交流でした。

昨年、デンマークツアーの最中、夜中にみんなで飲んでいた時に、
日置君が亡くなったというメッセージがスマホに届き,さぁーっと酔いが退きました。
60歳。
あわあわとした気持ちをどこでなだめたらよいのかわからないまま、
賑やかな輪の中で走馬灯のように思い出が駆け巡ったのでした。

「まほでし」
やがて40年経った今もやっていました。
当時通った喫茶店やレストランはほぼなくなった中、すごいなぁ。

そして、メニューも当時のまま。
木の子の森
白い恋人たち
幻想の月
山の精の涙
くまのプーさん
ムキムキマン
ドラキュラ殺し・・・
なつかしい。

ウサ村さんは「地中海のミラージュ」というムール貝を贅沢に使ったスープスパゲティー。
私は、「白くまくん」というホワイトソースのサーモンパスタをいただきました。
おいしかったぁ。
これ、1980年初頭に江古田にあったのはすごい。
そして、今も同じように営んでいらっしゃるのもすごい。

この日、BGMが80年代のサザンオールスターズ。
日置君が好きだったな、サザン。
かかっていたアルバム、一緒によく聞いていました。
なんだか出来すぎ。
弔問にも行けなかったのが心残りでしたが、「まほでし」で「ありがとう」と想う時間が持てました。

日置君のことは、一田憲子さんの追悼記事を。
→ click

江古田駅に戻って、一駅上りの東長崎駅へ。
駅自体も新しいし、駅前の感じも変わっていて、記憶がすっかり飛んでしまっていました。
幾つか通ったお店があったはずですが、見つけられず。
そして、やっと来られました、熊谷守一美術館。

ちょうど「めぐる いのち 熊谷守一美術館40周年展」を開催中。
よかったです。
ぜひ訪ねてみてください。
1階から3階まで、家族を描いた作品を柱に、たっぷりま向かうことができました。
弟やおばあちゃんのことが心の中にあったので、ひとしお沁みて絵と出会えました。

熊谷守一は岐阜県恵那の付知村のひと。
そうだ、私、ここを訪ねていったことがある。
絵を見ながらふいに思い出しました。

金沢を引き上げて帰る途中、下道を通って、五箇山、白川、高山を経由、
熊谷守一つけち記念館へ(当時は美術館という名称だった記憶)。
意気揚々と向かったのに、、、月曜日。
休館日だったのです。
心底がっかりして、愛知県まで南下して、ぜんぶ下道で帰ろうと思っていたのですが、
さすがに疲れ果て、豊田インターから東名に入ってその日のうちに千葉の実家まで走ったのでした。
(とはいえ、さすが24歳、タフだったなぁ。ホンダのシティー。
荷物をぎゅうぎゅうに詰めた小さな車でした。
そして、実際に入館できなかったので、日頃の記憶に残っていなかったのですね)

円環
日置君の運転で金沢に向かった往路。
岐阜の熊谷守一美術館を目指しながら金沢から帰ってきた復路。

今朝、家を出るときには思ってもみなかったけれど、
この日一日で、なんだかぐるりと輪になったような不思議な気持ちになりました。

人生にはいくつかのターニングポイントがありますが、
金沢に行かなければ工藝にまつわる仕事に就くことはなかったはずなので、
あの1年半が、後の私の時間、人との出会いの源でした。

そして、奇しくも60歳でこの世を去ったふたりと、生きていたら60歳になった弟を思う日となった今日。
還暦、円環。
元に戻るサイクル。循環。
という言葉に包まれた日となりました。

60歳を超えて今も元気に働くことができる自分が、しみじみありがたい。
大切に生きていきたい。
円環、循環を想いながら。

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「こころの本屋さん」
ここでは、ウサ村さんと1時間半くらいゆっくり本と過ごせて、豊かな時間をいただきました。
ウサ村さんと一緒に行けたことがとても意味のあることでした。
きっと、これからのウサ村さんと私の糧になるね。
ライターでもある石川理恵さんの素敵な場づくりのことは、あらためて。
さすがに長くなってしまいましたので。

日頃、日本橋と市川でのワークと、鴨川との二拠点生活なので、
意外と都内をゆっくり廻る機会が少ないのですが、やっぱりいいですね、お出かけ。