僕は「ガラスのヒヤシンスポット」を読んで、はるさんは「あぁ、これは僕も出会った最後の人だ」と思った。
物をつくることはすごく大変だし、時間もかかるし、理解されないことや、無碍にされることだってたくさんある。
けれど、長く仕事を続けているといつか必ず「自分はこの人のために作り続けてきたんだ」と思わせてくれる、本当に作品を理解して、愛し、人生の友としてくれる「最後の人」に出会うことがある。
もちろん、その人に出会ったら仕事を辞める訳ではないし、変わらず仕事は続いていく。
でも、自分の作品はその人にとって、ずっと探していたけれど見つからなかった、そして遂に出会えた「最後の作品」なのだ。
ただでさえ大変な仕事なのだから、誰のために作っているのか、何のために作っているのか、分からなくなってしまった時ほど、悲しいことはない。
でも「最後の人」に出会ってしまうと、もう絶対に仕事を辞めることはできない。
辞めればその人を悲しませることになるし、辞めた次の日に、また新しい「最後の人」に出会えるかもしれないからだ。
僕が手を止めたら、未来のその人は出会えるはずだった幸せに、永遠に出会えなくなってしまう。
そして僕たちは初めて、作品で誰かを喜ばせているのではなく、自身が仕事に救われ、生かされていることを知ることになる。
緑さんは、本当に幸せだ。
はるさんのように作品を伝える人が「最後の人」だったんだから。
はるさんは、うるさく口を出すわけではなく、優しく見つめているだけかもしれない。
けれど、ずっと作品を待ってくれるはるさんを悲しませることは絶対にできない。
この人のために作ろう、強く生きていこうと思わせてくれる。
それは、決して派手な訳でも強い訳でもない。
けれど、何に代えても守らなくてはならない、心の灯火であることを思い出させてくれた。
吉田慎司さん
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