降りつづく 変わりつづける

1月10日、夜明け前に何度も目覚めてしまい、その度に部屋の細長い窓から街灯に照らされる外の様子を窺う。
濃密な白色の結晶の集合は空間を夜中うっすらと明るく保ち、深々と音もなく降り続けている。
もう何日目だろう。
5時頃から妻と2人で道路から家までの除雪を始める。
7日の夕方から毎日、朝起きてからから暗くなるまで雪を掘ったり掻いたり下ろしたり。
片付けたら片付けた分だけ積もっているという、絶望を通り越して人を皆思わず笑顔にさせてしまうような降り方で、我が家から1kmほど離れた市の支所にある積雪計によると10日午前9時には284cmを記録したようだ。

この冬の初雪はとても遅く、12月14日にやってきた。
あれよあれよという間に降り積り、例年ならば初雪は根雪(冬の間ずっと雪が消えずに積もっている状態)にならないのだけれど、どうやら消えることはないだろうなと思ったのは、週間天気予報が雪だるまマークばかりになっていて、僕がまだ小さかった頃にテレビで見ていた天気予報を思い出したから。
新潟は雪ばかりで東京は晴ればかり。
僕が小学2年生から4年生だった昭和59年度から61年度の3年間は記録的な豪雪だったのだが、毎朝早くから父か母が家の前の通りをかんじきで踏み固めて道付けしてくれていたことや、たまにやってくるロータリー除雪車が除雪後、家の前に3mほどの雪壁を作ってよじ登るのに苦労したというようなあらゆる記憶が蘇ってくる。
それでも子供の頃は雪は多ければ多いほど楽しくて、週間予報に雪だるまが7つ並んでいるのを見つけると嬉しくて仕方がなかった。
除雪車による力任せの除雪もできればして欲しくなかったし、道路に3m近く雪が積もって真っ白になっている上を歩けるということだけで胸が弾んだ。

そんな純真無垢な頃から30余年。
我が家の3人の子供たちは僕がそうであったように毎日嬉しそうだ。
今年の最初の雪下ろし(屋根から雪を落とすこと)はお雑煮とお節をいただいた元旦で、車庫に降り積もった1mほどの雪を小学2年生の息子と一緒に行った。
初雪から大晦日まで、降雪がなかったのは6日間だけ。
この間に積もった雪は水分をたくさん含んでいてとても重く、屋根はほとんど平らなのでとにかく骨が折れる。
下ろし終わったらすかさずかまくら作り。
苦労ばかりではたまらない。
子供たちにもできる限り雪の楽しさや美しさを刷り込んでおけば、将来この土地の魅力をきちんと理解してくれるだろう。
翌日は工房と家の雪下ろし。
昨日は1mくらいだったはずの雪は1.5m以上になっている。
重い、疲れる、でも楽しい、美しい。
そんな風に正月三が日はずっと雪と過ごした。

4日朝は少し落ち着いて、近所のたわわに残った柿にメジロをはじめとする5種類くらいの鳥たちが賑やかに群がっていた。
秋なのか冬なのか春なのか。
季節が混在しているようでずいぶん華やかだ。
朝から片付けるべき雪もそれほどなく、ようやく制作に励むことができるのも嬉しい。
一昨日屋根から下ろした雪で工房の窓からはほとんど外が見えなくなってしまった。
かまくらの中で作っているようでそれも愉快だ。
動きのある外界からはどんどん遠ざかり、静寂に包みこまれ、頭と手が一体化していく。
大好きな感覚だけれど行きすぎると戻ってくることができなくなる。

7日、暴風が予想されていたけれど、ずいぶんと穏やか。
前日からよく晴れた。
翌日、翌々日と家族で被写体になる仕事が入っているので準備する。
午後だんだんと風が強くなり、天気予報のように記録的な大雪が懸念され、撮影も延期に。
9日、10日、11日と再び雪下ろし。
多い部分は2m近く積もっているけれど、十分に冷え込んだため軽めで助かる。
車庫と工房は雪を下ろしている途中で屋根と下ろした雪が同じ高さになってきたので、下ろした雪を除けながら、屋根と下を何度も往復。
10日には住んでいる地域に災害救助法も適用された。
結局8日から12日までは雪仕事のみ。

今回は仕事のことをしっかりと文章にしようと思っていたのだけれど、そんなこんなで仕事は遅々として進まず、木の代わりに雪と一日中過ごす毎日だった。
大雪は大変だけれど美しく、恐ろしいけれど楽しい。
住んでいると、どちらか一方の感覚で片付けられるものではないことを実感する。
近所の人たちが皆外に出て、話せば「大変だ、大変だ」と笑いながらひたすら白い塊を移動させる。
雪がない地方の人たちから見ると、無駄な労働といえばその通り。
でも豪雪地に住んでいる人たちから見るとこれこそが生きるために必要な労働なのだ。

1月18日、今日も朝からよく降っている。
例年ならば1月下旬から2月上旬に降雪のピークがやってくるのだれど、今年はどうなることやら。
こんなご時世ですが、雪を実感したい方は泊まりがけで遊びに(雪掻きに)いらしてください。

僕の親世代は子供の頃、真っ白な世界にかんじきでつけた一本道を歩いて暮らしていた。
一冬経験してみたかった。
一冬だけ。