また来た。
じわーっと身体の芯から暖かくなるような感覚。
これまでものづくりをしていて一度も感じたことはなかったのに。
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昨年の11月終わり頃から制作中にだけ頻繁に訪れる表現しづらい幸福感。
数ものでも一点ものでも関係なく、毎日一度はやってくる。
これまでと違ったものを作りはじめたとか、制作環境が変わったとか、そんなことは何もない。
いつも通りに作っていたら突然やってきたこの感覚は、半年近くを経た現在も同じように湧き上がってくる。
好きでやっていることでこんなに幸福感を得られるなど、とてもありがたいことだ。
だけれど、理由が分からないことにはどうにも居心地が悪い。
原因は何なのだろう。
そういえばこの頃は制作が多少遅れていようが、間に合いそうにない仕事を抱えていようが、多少のことでは全く焦らなくなってきた。
精神的にはいつも通常運転といった風で安定している。
ある種の「諦め」のような感覚が幸福感を引き起こしているのだろうか。
1年前に我が家のモモ(今年13歳になる雑種犬)の左前脚を切断してもらった。
膝関節のあたりに腫瘍ができはじめたのが3年前。
元気で健康そのものではあったのだけれど、腫瘍はどんどん大きくなったため、切断を勧められたけれど腫瘍だけ切除してもらったのが2年前。
再発しなければいいなと思っていたけれど、またしても皮膚を突き破るほどに膨らんでしまったのだった。
切断後、3日くらいはモモも少ししょんぼりしていたようだったけれど、まずは顔つきが元通りになり、1週間もするとなかなかのスピードで走り回れるようになった。
今では力強さも脚が4本あった頃と遜色ないように思うし、本気で走れば驚くほど速い。
そんなモモなのだけれど、朝夕の散歩の帰り道では伏せてよく休憩するようになった。
瞬発力は戻ったけれど、持久力はそこまで回復しない。
当然毎度の散歩にかかる時間は増えたし、僕も自然とモモのゆっくりした動きに合わせるようになった。
家の中にいても僕が寝そべっていればすぐ横で同じように寄り添ってきたり、デッキに出れば一緒に着いてきてすぐ隣で休んでいる。
僕はモモに合わせて、モモも僕と足並みを揃える。
一緒にいる犬の動きに呼応することで、自分の中の「時間」に対する感じ方は大きく変化した。
限られた時間にやりたいこと、やるべきことを詰め込んでいた僕は、これまでよりゆっくりと刻む時計を手にしたのだった。
モモがくれたこの新しい時計がきっと、制作中の満たされた思いをもたらしてくれたのだろう。
しかしこのことは驚愕の事実を突きつける。
我が家には子供が3人いるにも関わらず、僕はこれまで子供たちの動きに合わせるということをしてこなかったということだ。
では誰が子供たちに合わせていたのか。
当然妻である。
感謝するしかない。
僕は子供たちと遊ぶことも多いのだけれど、実のところ、いつも子供たちが僕の遊びに付き合っていただけ、ということも証明されてしまった。
反省しなければ。
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雪の降り続いた季節も突然終わり、あっという間にあたりはさまざまな花で溢れている。
この春は例年より早くから近所の山へ入って山菜採り。家の周りよりも里山の奥へ行くと季節の巡りが早かったりするのが面白い。
カタクリやショウジョウバカマが咲き乱れていたときには、家のすぐ裏山で信じられないくらい多くのギフチョウが舞っていた。
今日も空高くではサシバが「ピーピー」と鳴きながらゆったりと飛んでいる。
4月末、1泊2日の出張から戻ったら、庭の色も山の色も全く違っていた。今年も季節は巡っていく。