池に想う

つい先日まで乾いていた空気にもじっとり重みを感じるようになりました。
これから徐々に木の仕事には難儀する季節に向かっていくわけですが、山も庭もあっという間に濃淡の緑に彩られ、心華やぐ時でもあります。
2週間ほど前にはまだホワホワと柔らかな色合いだったのが嘘のよう。
すぐにあたりは草木の王国へと姿を変えることでしょう。

この冬はほとんど雪が積もることなく過ぎ去りました。
いつもは真っ白な雪氷に下部の水を覆われてしまう庭の池では、そろそろと移動する鯉の姿を見かけることもありました。
今年は鯉も楽々越冬だななどと思っていたのですが、晩秋には3、4歳が15匹いたはずなのに春になると11匹に。
おそらくイタチやキツネにやられてしまったのだと思います。
毎冬彼らは庭で目撃されていましたから(背景が白いのでとても目立ちます)。
水は冷たくて素早く泳ぐことはとてもできない。
いつもは身を隠してくれる真っ白な布団もなくなってしまい、僕から見ると容易に見えた冬越えでしたが、鯉たちにとっては過酷なものだったようです。
皆生き延びるわけにはいきませんでしたが、ゆったりと泳ぐ丸々とした姿をながめていると気持ちが穏やかになります。
昨夏子供たちが金魚すくいで持ち帰った小さな鯉数匹も元気な姿を見せてくれています。

鯉が泳ぎ始める季節になると、メダカたちもいくつかの大きな群れを作って水面近くに現れました。
4年前に近くの池で捕まえてきたものが増えたのです。
これからすぐに産卵し始めて、赤ちゃんメダカがたくさん見られる季節になります。
一体どこで冬眠しているのか謎ですが、たくさんのカエルたちも目を覚まし夜な夜な大合唱を始めました。
今年はツチガエルが大多数。
2、3年前にはトノサマガエルと覇権を争っていたのですが、どうやら勝負がついたようです。
ほとんど姿を見かけることはないのですが、モリアオガエルも生息しています。
手を背中で組んで泳いでいるモリアオガエルを発見して大笑いしたことがあるのですが、あの姿は今以て謎です。
そういえば2月下旬、サギがカエルを捕まえていきました。
雪がないだけで様子がずいぶん変わります。

池の辺りには大きなイトヒバやイチイ、サツキなどの木が植っています。
もう少しするとたまにイチイの枝にとまったカワセミを見かけるようになります。
どうしてこんなところにやってきたのだろうと思って見ていると、池面に何度も飛びこむのです。
繰り返すうちに小魚を捕まえることがあります。
近所の川に子供たちと罠を仕掛けてアブラハヤを捕獲し、池に放したものが棲んでいるのですが、どうやらそれを狙いにきているようです。
池は流れがなく、川よりも餌取りが楽なのでしょう。

池の水は近所の山から引いてあるのですが、養分が豊富なようで、暖かくなるにしたがい藻が発生しやすくなります。
落ち葉や棲んでいる生き物の排泄物、残餌なども原因となって、池の底には少しずつ有機物をたくさん含んだ泥(いわゆるヘドロ)も溜まってきます。
4年間一度も池の掃除をしていないのですが、これまた近くの水路から捕まえてきたシマドジョウをはじめ、泥の中にも様々な生物が棲んでいます。
先日は水面にイトヒバが落とした古い葉が塊になってたくさん浮かんでいたため掬いとろうとしたのですが、よく見るとツチガエルの卵がたくさん付着していました。
産卵にちょうど良かったのでしょう。
こちらとしてはある程度すっきりときれいにしたい。
しかしそんな勝手な気持ちなどお構いなしに、我が家の池周辺では多くの生き物たちがその環境に適応して暮らしているのです。
とりあえず浮かんでいる葉っぱはそのままに。卵が孵ったら片付けましょう。
吸い出してしまおうかと思っていたヘドロですが、バクテリアの力を借りて分解してもらうのが一番かなと考えています。

庭の草も勢いを増し始めました。
それぞれとても可愛らしいので出来ればそのままにしてあげられたらと思わなくもありませんが、放っておくわけにもいきません。
種類によって引っこ抜いたり刈ったりと忙しい毎日です。
共存といえば聞こえはいいですが、人間が暮らしていく限り必ず周りの何かを犠牲にする。
いちいち命について考えさせられます。

今日は5月20日。
連休も明けて、我が家の周辺ではたいした根拠もなく始まった自粛生活が、再びたいした根拠もなく普段通りの暮らしに戻ってきているように思います。
例年出張の多い春なのですが、今年は遠くへ出掛けることもなし。
学校が休みになってしまった子供たちには多角的かつ執拗に邪魔されたものの、通底していたのはただただ木を彫り、山菜生茂る山を歩き回り、その恩恵を満喫し、庭の池をながめて過ごすという、静かな充実した時間でした。
そんな穏やかな毎日でしたが、これまでそれほど興味を持ってこなかった感染症やその対策に関してはずいぶん色々と読みましたし、日本の社会システムが迅速にうまく機能しないことを様々な場面で矢継ぎ早に目の当たりにする日々でもあり、事態が収束したとしても「コロナ以前の生活に戻りたい」とは一切思わなくなりました。
今を良しとして受け止めることも時には大切なことかもしれません。
しかし思考停止することなく、皆にとってもっともっと良いと思われる将来を思い描き、声を上げて進んでいかなければならないと強く感じています。