映像制作のうらばなし

「工藝作家を紹介する仕事」と出会って、今年の4月で満39年になります。
ふー。
長いようで早い。
私の人生の半分以上は、作り手の方々との時間、ということです。
なんてしあわせなことでしょう。

俳句修行で金沢に移り住んで出会った工藝ギャラリーの仕事。
そのギャラリーの印刷発行物に、初めてある陶芸作家の紹介文を書きました。
その文章をいたく褒めてくださるかたがいて、一人移り住んだ心細さの中に明りが灯ったような気がしたのです。
ものを書くことに、生きていく何らかの術を求めていた心にも養いが与えられたのでしょう。
そこから、作り手のことを「書く」ことを通して、大切な何かを見ていこうと思いが定まったように思います。

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ある年、尚友が取材を受けました。
慶應大学の有末賢教授という方で、「ライフヒストリー」という学問を研究されているのでした。
その取材は「生活史宣言 ライフヒストリーの社会学」という本にまとめられているのですが、
「ライフヒストリー」という言葉が、とても心に残りました。
私は工藝作品を販売しているのだけれど、工業生産品や骨とう品ではなく、今を生きる変化し続ける人が作るものとま向かっている。
その作り手のライフヒストリーのある点、または線とつながっている。
作り手のライフヒストリーについて、私なりのよき伝え方ってなんだろう。
そのことをずっと思ってきました。

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その想いの先にある2025年。
「映像を撮ろう」という想いが熟してきたのでした。
さまざまな機器やソフトが充実している現代で、使えるツールは使ってみようと。
幸い、数年前からイトウユリさんとの出会いもあって、いろいろトライしてみようと。

私がやるのなら、「ライフヒストリー」にまつわるお話をインタビューしたい。
畏れ多いことですが、「徹子の部屋」をリスペクトして「ヒナタの部屋」というタイトルで。
そんな想いでトライしてみたのでした。

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出来上がった1stエディションを見て。
まったく、私の想いのようにはいきませんでした。
これはもちろん、ユリさんのせいでも、谷口さんのせいでも、大江田さんのせいでもありません。
私の準備不足なのでした。

まず、スクリプトを作らなかったこと。
ざっくり、こういうことをお聞きしますね、と打ち合わせをしただけで、ぶっつけ本番で撮影したのが、今回のものです。
なので、私が深掘りしたかったことより、現場の流れで話が進んでしまい、ライブ感はあったかもしれませんが、
もっとお聞きすべきことが聞けていなかった。
&伊勢丹展へのご案内要素も中途半端に混ぜてしまったので、どういう趣旨の動画なのかが曖昧なものになっていたのです。

そこで、軌道修正をしました。
今回は、ライフヒストリーというより、伊勢丹展へのご案内としての構成にしようと。
ヒナタノオト × 作家 というタイトルで。
その趣旨を汲んで編集を整えてくださったのが公開したものです。

谷口さんは45分くらいお話しくださったものを半分くらいにぎゅっと。
大江田さんはインスタグラムにあげられる尺のものをふたつに。

そして、声の出し方ももっと意識したいなと。
朗読の講座を受けてみたいと思っています。

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重厚にならずに、軽やかに、楽しく、なんならスマホでさくっと、、、くらいな気持ちで取り組んでもみたのですが、
なかなか、それも難しいものですね。

けれど、今回、谷口さん、大江田さん、ユリさんのおかげで実行できて、次の課題がはっきりしてきました。
次回は「ヒナタの部屋」として、ライフヒストリーを真ん中において構成したものを作ろうと。

今年個展をお願いしております作家の方の中から数名の方にお願いしたいと思います。
(すみません、びびってしまった作家さんがいらっしゃるかも。。。)

追記
どうーでもよいことですが、私が異常に太って映っております。
普段、太った痩せたについてな何も言わない尚友までこれを見て「どうしたの?」と。
これは画角のせいが大きいですね。
作家を奥に、私が変に手前にいるのがなんとも不格好でした。
お見苦しい姿をお見せしてしまったのも、反省であります。

ひとりで映っているこの感じが、今の私の感じです。
筋トレは継続中ですが、食事制限はまったくしていないので、
2年前に絞った時より実際だいぶ戻ってはおりますが。
(ほんと、どうーでもいいことでした・・)