無心の中、繰り返す行為というものは工芸の本質のひとつだと私は思っています。
この本にはいくつもそのことが描かれていました。
漆の塗師のただ塗る仕事を続けた先にある無心の瞬間。
金属を繰り返し叩いて本物の深い呼吸を得る朝さん。
そして糸を刺すことは極楽浄土のような所にまで辿り付ける時間ではないかと思い至る「こぎん刺しのティーコゼ」の晶子さん。
「刺すほどに、しんしんと降る雪のように、晶子さんの心には、幸せが積もり広がっていきました。
(中略)
一心に、何もかもを忘れて、(中略)針を進める濃密さ。
それは誰も入り込めない、自分だけの真っ白な雪原のようなもの」
と書かれた針を進める時間の深く美しい描写。
ものを作る人ならば誰しも心あたりがあるのではないでしょうか。
本当に心が震えました。
繰り返す行為というのは
無心になった先に神の領域に繋がる神聖な時間になるのではないかと思うのです。
それは過去から続いている宗教の儀式にも見て取れることでもあり、
また人間の心臓も呼吸も繰り返していることを考えると人間の営みの本質にあることのように思うのです。
私が糸目を形どった金属を作っているのはまさにそういうことが制作の動機になっているからで、
その糸目について稲垣さんは
「心を向けて綴った糸の調べ。針を進める時間の奥行きにひそむ(中略)願いや諦めを鎮めながら描かれた糸の跡」
という美しい言葉で表現されています。
それらの言葉にならなかった既視感ある感覚を、的確かつ詩情豊かな言葉で置き換えられた文章に触れることは
物作りを営む人間にとってこれ以上ない喜びだと思うのです。
そしてその読書体験は孤独の中にあった筈の無心の時間を晶子さんはじめ、他のだれかと結びつけてもらえた時間だったのです。
私が糸を使う為にこちらのお話が1番心に残りましたが、どのエピソードも身に覚えあるものばかりです。
孤独になりがちな制作活動ですが、どこかのだれかとその思いを共有できていると思えることは大きな勇気を与えてもらえる本だと思いました。
青木東子さん
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