「味の薄い味噌汁」
今年で84歳になる父。
時代背景もあり、台所で料理をする機会が訪れるのは早くはなかった。
母と結婚して焼き物作りをするために信楽に移住すると、仕事の性質上(自宅兼工房で共同作業で器を作っていた)、掃除洗濯など家事を分担することは暮らしの一部になったけれど、とりわけ料理に関しては長く母の仕事だった。
初めて父の料理を食べたのは?と、胸に手を当てる、、、、
そう、あれは母が体調を崩してしばらく入院した時だ。
小さかった私と弟にご飯を食べさせるために父なりに奮闘したと思うが、食卓には来る日も来る日もご飯と卵焼き、味の薄い味噌汁、、、
最終的には父自身が音を上げて外食する日が増えた。
そして母が回復すると、「ご飯を作るのは母」という暮らしに戻った。
私たちが成長して下宿を始めた頃、仕事は多忙を極め、母からの強い要求もあり、晩ご飯を交代で作ることになった父。
最初は母からの圧に屈して渋々という感じで始まったようだが、勉強熱心な性質もあり、どんどん腕を上げていった。
母が亡くなってかれこれ10年近くなるが、自分好みのご飯を作って静かに自由な時間を過ごすことができているのも、あの時の母の猛烈プッシュの賜物、父もそのことに感謝しているに違いない。
今ではすっかり料理上手で、シンプルなおばんざいからピザやロールキャベツまでなんでも作れる父だが、
「父の料理の思い出」となるとまず頭に浮かぶのは、慣れない手つきで焼いてくれた不恰好な卵焼きと味のない味噌汁(笑)
暗くて小さな田舎食堂で親子三人、のびた中華そばをすすりながら「早くお母さんが帰ってきてほしい、、」と心で泣いていた小さな私に、
「お父さんは今、ミートスパゲッティやパンを作ってみんなを喜ばせているよ」とそっと教えてあげたい。
記憶のスイッチはちょっとおかしなところで入るものだなあ、と、父には申し訳ないけれど、少し笑ってしまった。