七実さん、個展が無事終了いたしました。
充実の作品群、あらためて、ありがとうございました。
そして、お疲れさま、と心から労いたいと思います。
始まるまで。
特に案内状の制作でやりとりをしていた冬の終わりの頃、
心細そうな七実さんの声に、心配をしていました。
作品点数をはじめ、想い描いていた個展の構成に満たないのではないかという七実さんの不安。
それらが、寒く暗い冬の工房での孤独な制作の中で、作家の心を凝らせてしまっていたのかもしれませんね。
けれど個展前のラストスパートに、七実さんの想いが束ねられたかのように制作が進んで本当によかった。
完成に向けて慎重に重ねたひとつひとつの工程が実り、窯から出された作品の数々。
その中から厳選された250点の作品を積んで、ヒナタノオトに搬入に来られた七実さんの笑顔が忘れられません。
はにかむような笑顔を輝かせている静かな自信。
なんとなく
七実さんと初めて制作について、あらたまって、まじめに!お話を伺ったのは、
出会って15年以上も経った2006年のことでしたね。
拙著「手しごとを結ぶ庭」で、陶芸作家大野七実さんについて書かせていただいた時のこと。
どんな制作、どんな陶芸をしていきたいかという問いへの答えが「なんとなくのかたち」と。
その曖昧な言葉の奥行きに、なぜか七実さんの芯の強さを感じたものでした。
「なんとなく」よいと思えないものは、作らない、作っても世に出さない。
「なんとなく」の基準を言葉で聞きたくなってしまう気持ちを押さえて、七実さんの「なんとなく」の頑固さを見続けたいと思ったのでした。
今回の新作、カーブ皿(私は泉が湧き出るようなフォルムなので、いずみ皿にしてみては?なんて言いましたね)や、newリム皿についてお話を伺った時、
「今までのリム皿も大切な形だけれど、『なんとなく』こういうふわっと境界があいまいな緩やかな印象のお皿を作りたかった」
と七実さんがおっしゃいました。
また、七実さんの陶器の魅力のひとつでもある土化粧による色合い、風合いについては、
従来のように素焼き、本焼きの二回焼成では思ったような仕上がりにならないというお話も伺いました。
素材である土のせいなのか、気候のせいなのか、窯の具合なのか・・・。
試行錯誤の末に、もう一回焼成を重ねることで、七実さんの思い描く表情になることを探り当てて、現在に至っていると。
陶芸作家にとって、焼成を1回増やすことは、とっても大きな労力が加わることですね。
それでも、そうせずにはいられないその源に「なんとなく」があるのだと、今回あらためて思ったのでした。
日々の暮らし、日々の制作に中で七実さんの「なんとなく」は育まれ、その純度が高まっている。
3回の焼成を経て生み出された充実の作品群を前にして、2006年から18年を経た「なんとなく」の現在が、目に、心に深く映ったのでした。
搬入時からすでに明るい表情の七実さんでしたが、初日、翌日曜日、そして翌週にかけて、その笑顔がほんとうに豊かになっていかれましたね。
「みなさまの使う喜びとわたしのつくる喜びが重なるようなものづくりができるよう、
これからも健やかな心と手をもって、日々を楽しくおもしろくいられたらとおもいます」
今展が終了したあと、七実さんがインスタグラムに書かれた言葉。
七実さんの「なんとなく」を高める原動力の大きなひとつが、「使う人の喜び」なのだと、今展を通して、私やスタッフ皆にひしひしと伝わってきました。
多くの陶芸作家、工藝作家が使い手の喜びを、作り手の喜びに感じることでしょう。
けれど七実さんにとっては、それはとてもとても大きなことで、より具体的なものなのでしょう。
おひとりおひとりとの会話、交わす笑顔・・・。
その具体的なやりとりが、孤独の中にあって創作を続け、深めていく糧となっているんですね。
作品展をひらくことは、自らの手から生まれたものを放つこと。
そして、放つことでなんと豊かなものをその手に掴まれたことでしょう。
七実さん、これからも制作を通して、豊かな使い手の方々、志を近くする作り手の方々、そして、その作品をご紹介したいと願う私たち結び手とつながりながら、「なんとなく」の実りを益々豊かにしていただきたいと願っています。
あたたかく(暑く!)なってきましたから、酷使された腕も少し休ませて、また次への制作に向かってくださいね。
スタッフ一同と共に、感謝をお伝えいたします。
ありがとうございました!