温泉と水源

水が湧き出している場所が好きだ。
目には見えずとも土の中を脈々と流れ続け
僅かなきっかけで目の前に現れたそれに想いを馳せるのが好きだ。
いつに降った雨かも知れず、どこの山から来たのかも分からない。
渾々と、粛々と、どこにも威張る仕草もないまま湧いてきて
もはや自らの意志で何かの形を成してやろうなどとは微塵も思わず
低い方へ低い方へとへりくだっていく。
自分の決まった形などは無く、他者の形によって自らが何者かに成る。
そのうえ何者かに成った次の瞬間にはもう何者でもなくなっている。
なんて健気な存在なのだろう。
そして彼らが火山に出会い暖められ鉱物を身に纏ったなら
尚も輝かしい存在へと変身して僕らを楽しませてくれる。
そんなものに少しでもあやかりたいと思い、今年も温泉と水源を巡る旅をした。
その中で印象的だった場所をいくつか振り返ってみたい。

長崎の雲仙温泉

岩の隙間から絶えず湧き続ける湯けむりに包まれ、道案内をしてくれる野良猫の後をついて遊歩道を歩く。
吉田松陰も湯治に訪れたと伝わる古湯、小地獄温泉館に辿り着けば、硫黄の香りの濁り湯が待っている。
八角形の木造建築の佇まいが可愛らしく、共同浴場として多くの人に愛されてきた歴史がうかがえる。
真っ白の湯けむりに包まれてお湯に浸かっていると時間も時代も溶けていく。
体は私なり、心は公なり。松蔭さんの声が聞こえてきそうだ。

奥阿蘇の池山水源

今まで訪れた場所の中で最も静かな場所。それは聴覚で感じる静けさとも違っている。
九重火山に降った雨水が毎分30トンの量で湧き出しているのにも関わらず
その存在を感じないほどに場の空気が鎮まりかえっている。
きっと古くから人と自然の大切な繋がりの場所としてこの空気が守られてきたのだろう。
樹齢200年の巨木が物言わず屹立していた。

青森の蔦温泉

無色透明の湯にときどき、産まれたての泡がぽこぽこと浮かび上がってきて
申し訳なさそうに優しく、体をそっと撫でては消えていく。
平安時代からこの地に源泉があったらしく、1000年もの間絶えずこの小さな泡は
産まれては消えてを繰り返している。
冷えた朝に近くの山道を歩いた。
清流の片隅で岩魚の親子が小休止していた。

箱根の秀明館

足るを知る場所。
これ以上は何もいらないと思える場所。
制作の幕間の時間に訪れ、新たな出発を与えてもらった。

厚木のかぶと湯温泉

我が街にある、小さな温泉宿。僕の通い湯である。
とろみのある透明湯が滑らかに体に纏い、包み込んでくれる。
源泉の湧出量に応じて作られた小さな湯船に乗れば、いつでも記憶の海に漕ぎ出していける。
鳥も木も風も土も、祝福の歌を歌っている。
いつ行っても変わらないで居てくれる。
明日もまた行きたい。