トカラ列島 平島語大辞典 抄

【あじろ】(網代)
カツオ節を作るときの道具。
木製の箱で、深さが十センチ前後、縦が一メートル弱、横幅が五十~六十センチある。
底に竹が張ってある。
幅二~三センチに割いた竹が、やはり、二~三センチ間隔で縦長に釘付けしてある。
梁から吊したアジロの中に、熱湯で煮出したカツオを並べ、それを下から薪を焚いて燻す。
カツオ節作りに使わないときには、屋内の梁から吊してイサーとして転用された。
イサーとは揺りかごのことである。

「網代」の原義は「網の代り」という意味である。
川魚漁で使われるアジロは、竹や木で編んである。
その編み方を「網代編み」という。

竹細工の場合、編み方には、蓙(ござ)目編み、六角目編み、菊底編みなどがあるが、水も漏らないような編み方ができるのは網代編みだけである。
網代編みの大きなカゴを作り、その外側に紙を張って、上から漆を塗ればボートの代用として使える。
ベトナム難民がこの代用品を利用して、一九九六年に福岡県の志賀島に漂着した。((1))

(一)『漂着物探検』 石井忠(語り)城戸洋(著) みずのわ出版 二〇〇四年 十九頁

【あんかり】
アンカー(錨)のこと。
英語の「アンカー」と日本語の「イカリ」との合成語。
第二次大戦終結後、アメリカの委任統治下に入ってから生まれたコトバである。
こうした、新しいコトバが生まれてくる背景には、島の外から、それもほとんどが近隣の島々を飛び越えた遠隔地からの人や物資の流入がきっかけとなっている。
ランプしかない時代に懐中電灯が入ってくると、チ(池)と簡略に表現した。
懐中電灯が電池を使用するからだろうか、「チ」一音で言い表した。
夜間の素潜り漁で使う水中電灯が島に入ってくると、「スイチュウデントウ」は「スイッチ」と発音した。
船の甲板を掃除するときに使うデッキブラシは、後半を省いて「デッキ」となった。
こうした新造語は人や物の出入りが激しくなれば、瞬く間に消えてしまう。
アンカリは戦後三十二年を過ぎた昭和五十二年の時点では使用されていた。
その三年後に定期船の接岸港が完成してからは、接岸時の操船を主導する十島丸船員の船舶用語が共有されて、アンカリは自然消滅した。

【いをのめんたま】(魚(いを)の目ん玉)
沖から戻ってきた舟が魚を船着き場に放り上げると、大人も子どもも競うようにして、エラの下から指を突っ込み、水晶体に包まれた眼球を魚の外側に押し出し、それに口をあてて吸い取る。
特有の甘さが味わえる。
それで、他島の人が平島の魚を見て「見苦しか」と笑う。

戦後になって、初めてトビウオの干物を鹿児島(本土)へ出荷したのだが、売れなかった。
メンタマが全部抜かれていたからだった。
見慣れない人には、空洞の眼孔が不気味に映るのであろう。
普段の島では魚が市場に出回るわけでもないから、目玉がなくても何の不自由もない。
目玉の周辺の水晶体を食す習慣は珍しくはない。
インドネシアの沿岸部でも見られる。
また、内陸部でも目玉を食べる。
魚の目玉ばかりではない。
西アジアではヒツジを屠殺したとき、目玉は一番の客人に振舞うとのことである。((1))

(一)『騎馬民族は来なかった』 佐原真 日本放送出版協会 一九九三年 七十一頁

【いさ・いさー】
揺りかご。
屋内の梁から紐でイサを吊し、その中に赤子を寝かせる。
イサは赤子の名付け祝いには欠かせない具である。
長方形をしていて、長さが約一メートル、幅がそれより二十センチほど短い。
四囲に板を打ち付け、深さ二十センチほどの箱に作る。
底は縄を碁盤目のように格子状に張る。
しかし、大きさに決まりはなく、ときには、カツオ節製造過程で用いられるアジロ(セイロ)をイサ代わりに転用することもある。
子を寝かせる前に、イサの底に藺草で編んだ蓙(ござ)を敷き、その上に毛布か古着を重ねる。
((1)) → 【あじろ】(網代)、【さんにゃ】(産屋)

(一)「人の一生」吉原博明 『教育としま』二十二号所収 十島村教育委員会 一九七三年

【うつる】(写る)
理解できる、の意。
「電話がよく写る」という言い方をする。
対話の内容がよく分かることをいう。
昭和三十七年に敷設された海底ケーブルで、本土との電話回線が繋がったが、当初は雑音がひどくて聞き取りにくかった。
電話口に自分の口元を近づけて大声を出す。
「ワヤ(お前は)元気しちょっか? オガ(わたしの)声がうつっか(写るか)?」と。

「写す」という他動詞で使われることはない。
電話という利器は外から入ってきたものであり、自らの工夫で制御できるものではない。
だから利器を改造して、よりはっきりとした音声を相手に聞かせることはできない。
つまり能動的な意志は通用しないのである。

それでも「写る」の響きには、受話器から流れてくる音声に耳を立てているだけでは気持ちがおさまらない。
話し相手の姿を見ることはできなくても、網膜にありありと写し出すことはできる。
気持ちが昂じれば、触れるに似た感覚を味わうことができる。
同じことを音楽家が本番まえのリハーサルでする。
網膜に五線譜を写し出し、それを読みながら曲音を聞くことがある。((1))

古代人はそうした感覚に秀でていたのだろう。
『古事記』の中に出てくる大国主(おおくにぬし)には五つ別名があるが、そのひとつに「宇都志国玉」がある。
「顕国玉」とも書く。
これの読みは「うつしくにたま」である。
目に見えるように、はっきりと現れる「現実の国土の神霊」をいう。
島で使う「うつる」には古代の感性が脈打っているのであろうか。

(一)「声が“うつる”」稲垣尚友 『灘渡る古層の響き』所収 一六九頁

【おちき】(お突き)
漁法のひとつ。
「お突き」の転訛である。

餌木(疑似餌)を短い竹竿の先端から垂らして海面近くに浮かべる。
餌木を巧みに泳がせて、水中深くにいる獲物をおびきよせる。
泳がせ方ひとつで獲物が浮上してきたり、しなかったりする。
獲物が海面近くに寄ってきたとわかると、これまでの餌木の動きとは違って、いかにも弱り切った泳ぎをさせて、相手に気を許させる。
魚が大口を開けて食いつく瞬間を狙って三つ叉のモリで突く。
モリには返しがついていて、獲物に突き刺さると、外れない。
また、モリ先は手に握っている柄から外れて、獲物の動きとともに海中深くに沈んでいく。
しばらくの間、魚の動きに任せておくと、獲物は体力をなくし、動きが鈍くなってくる。
そうなってからモリ先と直結している手綱をたぐり寄せると、魚が海面に浮き上がってくる。
突く魚は、大きいものではサワラがある。十五キログラム以上のものもある。

餌木は平島では屋久杉で作る。体長三〇センチほどのカツオに似せてあり、ガラス製の目玉を入れる。
木目が横に流れるように削り出すと、海中ではその緩やかな曲線が生きている魚に見える。
宝島では「ニワトリの毛(羽根のこと)をヒレにし、目は貝を埋めて作る。
尾の部分は牛の角を用いる」との記述がある((1))。
また、奄美大島では「餌木は大槇の根元を用い、頭尾部は牛角、ヒレには山羊の毛をつける」。
((2))中之島ではヒレに黒ゴムを使う。((3))

平島でも雄鶏の羽根を使って疑似餌を作ることがあるが、ホロ曳き漁用の疑似餌に使う。
その羽根は木型の疑似餌に使うのではなく、イカに似せた疑似餌に使う。
牛や鹿、あるいは山羊の角に羽根を縛りつける。
ちょうど、相撲取りのサガリのように、角の周囲に垂らす。
その中に釣り針を仕掛ける。これをオチキ漁に使うことはない。

(一)『トカラの島々』 朝日写真ブック 朝日新聞社 一九五四年
(二)『山民と海人』 大林太良・他 小学館 一九七三年
(三)『日本丸木舟の研究』 川崎晃稔 法政大学出版局 一九九一年

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編者記
全80万字、ア行だけで10万字という大辞典を編纂中。
ア行は、見本誌が完成。
読む程に、辞典という名の民俗学ではないかと思いつつ、どこかユーモラスな内容は、筆者の個性ゆえでしょうか。
膨大な項目の中から、竹や工藝にまつわる語、または、ユニークな語を、編者(つれあい)がピックアップしてみました。
イラストは筆者によるもの。

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