竹かんむり小話

稲垣 尚友

筏(いかだ)     

2020.06.09

カゴは底から編み始める。
底の形が丸いものには「菊底(きくぞこ)」や「網代(あじろ)底(ぞこ)」があり、角(かど)がある底は「ゴザ目」編みになっていたり、「イカダ底」という名前の編み形になっている。
この名前は、筏の組み方に似ているという理由で命名されただけであり、水も漏らさない船底を編むわけではない。
目を詰めて水漏れを防ぎ、舟として使う竹カゴもあるが、その場合にはひと工夫が必要になる。

赤道に近いアジアの国々では竹カゴ舟が珍しくはない。
材料として使う竹類はバンブーである。
日本国内に自生しているマダケや孟宗竹とは違う。
竹は地下茎で生育するので、手入れをしないと藪となり、人間が分け入ることが難しい。
一方のバンブーは株立ちであるから、間隔を置いて立っている。
それだから長大な竹に成長しても、竹藪のような密な林にはならず、楽に散策することができる。

そのバンブーは表皮が柔らかく、縦糸と横糸を織りこんで布を作るときと同じ要領で、水が漏れにくいほど緻密に編むことができる。
その編み方は網代編みに限る。
ベトナムではこの種の舟が使われているが、編み上げたカゴはお椀舟の形をしている。
それにヤシ油を主体にして、牛糞をまぜたものを、編んだカゴの目に塗りこむと漏水を防ぐことができる。

コーティングがはがれた竹舟の網代底

1996年に福岡県の志賀島にベトナム製の竹カゴ舟が漂着したことがあった。
それには国外脱出をもくろんだ難民が乗りこんでいた。
カゴ舟とそれを利用する人間を大型船が日本近海まで運んで来て、陸地が確認できたならば、カゴ舟を海上に降ろし、その後は手漕ぎで海岸線をめざした。
石井忠さんの書かれた『漂着物探検』という本で読んだことがある。

日本にはバンブーが育つ環境にないが、カゴ舟が利用されていた伝承がある。
この世のものともあの世のものとも判別しかねる出来事なのだが、現存する日本最古の歴史書である『古事記』によると、
ひとりの神さまが捜し物をするために海神宮へ行くことになった。
どのようにして行けばいいのか思案していると、ひとりの翁が小舟を造って与えてくれた。
その舟というのがカゴ舟である。
「无間勝間」と書かれているのだが、何を意味しているのか、勉学不足のこちらには分からない。
古代文字の研究者の助けを借りると、「まなしかたま」と読み、「無目籠」のことだと説明してくれた。
文字通り、目が固く詰まった竹カゴである。

以上の二例は、人を運べば目的をかなえたことになるが、物資を運んだり、寝泊まりができる居住空間を備えるとなると、いくら大きなカゴを編んだとしても、役にたたない。
そこで考えられたのが筏である。
現在、「イカダ」の音から想起されるのは「筏流し」であろう。
山間部で伐りだした原木を川の流れを利用して、川下へ運び出すことをいう。
そして、河口付近に材木の集積所(寄せ場)が設けられる。
そこを「木場」と呼んだが、年月が経つなかで一帯の地名となった。
有名なのは江戸深川のそれであり、現在の東京都江東区に「木場」の地名で残っている。
秩父山地で伐りだした原木を筏に組んで、荒川の水流に乗せて深川の木場まで運んだ。
1970年代に入ってからは、南の埋め立て地に集積所が移り、「新木場」の地名が新たに生まれる。

しかし、本来は木材運搬とは関係がなかった。
古代の人は「イカダ」と聞けば、丸竹を横一列に並べ、平板状に作った水上の乗り物のことしか思い起こさなかったことだろう。
筏が盛んに使われたのは中国南部である。
「南船北馬」という四文字熟語があるように、中国大陸の北部は遊牧民も多く、交通手段として馬を多用したのだが、大河の流れる南部は水上交通が発達する。揚子江やその支流に住む人たちは二十世紀に入っても筏を使用していた。

滔滔(とうとう)と流れる揚子江は、別名長江とも呼ばれている。
大河川を知らない日本人には思いつかないほど大きい。
長江の河口は百㌔メートルを超えているから、対岸が見える日ばかりではない。
新型コロナ・ウィルス騒ぎで一躍名をはせた武漢はこの川に沿って発達した街で、河口近くの上海からは川に沿った陸路を800㌔メートル以上内陸に入っている。
その武漢までは三千トンの船が自由に行き交うことができ、夏の増水期には一万トンの船も航行できる。
が、近年の上流水域の乱伐で保水力が鈍り、大量の土砂が流れ込んで、水深を浅くしている可能性もある。

河川の巨大さが筏にも反映されている。
貨物輸送用に作られた筏には、幅が3・7メートル弱、長さが33メートルのものもある。
太い丸竹を横一列に並べ、それに横竹を直角に寝かせ、籐で結束する。
付け加えておくと、秩父から流れ出される筏は木材なのだが、結束する縄はタガナワと呼ばれている竹を原料として編まれている縄である。
この縄は水分を含むと固く結束される性質があるため、激流のただ中にあっても解けることがない。
そんな利点があるので、秩父地方では葬儀の際には棺桶の蓋にタガナワのひと束を載せておく。
仏さんが未練をのこして、この世に迷い出ることがないようにとの、親族の思いが込められている。

この筏作りで欠かせないのが、節(ふし)を強火で加熱することである。
筏は浮力が大きいから、吃水線は竹の直径よりも浅い。
それだから、岩に乗り上げる可能性は少ないのだが、竹の節を炭化させておけば、硬質となり、乗り上げても割れにくい。

こうした工夫は国境を越えても活かされている。
日本では武具として竹槍を使っていたが、殺傷力を高めるために、槍先を焼いた。
明治17年に起きた秩父事件では、秩父困民党として蜂起した農民が、囲炉裏火で槍先を炭化させている。
当時、秩父山中に風布という10戸にも満たない小さい集落があったが、全戸が蜂起にかかわっている。
薪の燃える明かりの下で黙々と槍先を焼く大人たちを目視していた子が、後に語っている。
この事件は明治時代以降として、日本国内最初の〈内乱〉といえる。
生糸の暴落で養蚕農家は生活が破綻したのだが、地租は容赦なく取り立てられる。
農民の嘆願も門前払いをくう。
「畏れ多くも、天皇様にたてつく」と覚悟を決め、秩父夜祭りの折に打ち上げる青竜花火の筒を、高崎鎮台兵へ向けたのだった。

筏作りのうえでもう一つの工夫は、竹の表皮を剥(む)くことである。
皮を剥くと竹の割れを防げるし、さらには、結束作業を容易にし、荷物を載せても、人が歩いても滑らない。
わたしが以前住んでいた鹿児島県下のトカラの島では海岸線を歩いていると、竹製の浮きを目にする機会が多かった。
漁網に付ける浮きとして竹のひと節を使っていた時代が長かったのだが、その浮きも表皮を剥いて割れを防いであった。
筒全体が水没していれば割れることはないが、浮力があるかぎり水面上に一部が顔を出すために割れが入る。
皮の部分には油分が豊富であり、水分を吸収しにくい。
それに反して内部の組織は吸湿しやすい。
このように皮に保護されている外径と水分を吸いやす内径では膨張率が異なるから、皮を剥いておかない限り、割れ目ができる。
このような話はプラスチック製の浮きが普及する前のことであり、昭和40年代の後半には竹筒製の浮きは目にしなくなった。

筏が貨客を川下に運んだ後、今度は遡上しなければならない。
流れに逆らうのだからたいへんである。
竿を差したり、川に沿った陸路を人間が肩に綱を架けて牽引しなければならない。
ロシアのヴォルガ川の舟唄は、そうした牽引労働者の哀歌といえようか。
中国では牛に曳かせることもあった。
これは古代に開削された「大運河」と呼ばれている水面で行われている。
上海近くの杭州から北京まで1700余㌔を繋いでいる。
日本から中国に渡った遣唐使の一行もこの運河を使って、時の皇帝に拝謁している。

運河には強い流れはないから哀歌は生まれなくとも、多くの人間と物資を積載している船や筏を曳くのはたいへんな労力が要りようである。
9世紀に円仁(えんにん)という比叡山の僧がその光景をつぶさに観察し、文章にしたためている。
初めは牛に曳かせていたのだが文字通りの牛歩であり、あまりにも遅いということで、人間に代わった。
何人もの人で曳くのだが疲労が激しく、結局は牛と交代した。
風力の利用も試みられたであろうが、そのことに筆は及んでいない。

川や運河と違って大海原を行く構造船は、風力が頼りである。
それで、帆にはあれこれの材料が試された。
鎌倉時代の『華厳縁起・義湘絵』(高山寺蔵)に出てくる船の帆は竹でできている。
その編み目をよく見ると、三本飛ばしの網代に編んである。
森克巳氏の「遣唐使船」(須藤利一編『船』所収)によると、この絵は一二世紀の宋船をモデルにしているらしい。
船は二種類の帆を用意していて、正風のときは布帆を、そして偏風のときには竹の帆を用いた。
竹は強風でも破れないからなのだろうか、使い分けの理由がわからない。
竹は船腹にも使われている。
大波が舷側から入りこむのを防ぐためである。

筏には竹の利点がおおいに活かされている。
安価であり、細工が簡単であり、軽くて、しかも丈夫である。
ただ、急ぐことを良しとする暮らしには不向きな道具である。


Writer

  • 稲垣 尚友
  • 稲垣尚友
  • この欄を担当することになりました稲垣尚友です。
    房総半島南端の街・鴨川の山中で竹カゴを編んでおります。
    修行をしたのは熊本県の人吉盆地の奥、市房山のふもとに近い錦町です。
     
    カゴ編みを生業とする前は、トカラ諸島の島々のひとつである平島(たいらじま)に住んでおりました。
    全島を覆うようにして、琉球寒山竹が植わっています。
    島ばかりでなく、あちらこちらと巡っているなかで見つけた仕事が竹細工です。
     
    現在は、竹という素材が暮らしのなかではあまり目立ちませんが、
    竹に関する資料は膨大で、竹冠の付いた漢字がポケット判『新字源』(角川書店刊)ですら、160あります。
    さらには、日本人が編み出した国字といわれる文字にもあります。
    よく目につく「笹」もそのひとつです。
    中国大陸で発行されている大字典には千近くあるそうです。
     
    竹冠に関する語のひとつひとつからは、永年にわたる人びとの暮らしぶりが伝わってきます。
    そうした、暮らしのなかでの竹の話を始めようと思います。

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