竹かんむり小話

稲垣 尚友

管(くだ)

2020.03.12

「管」は「くだ」のことを意味している。
中空のパイプのことである。
体内の血管がそうだし、暮らしに欠かせない水道管などがある。
が、そのおおもとは、竹管で作られた楽器を意味していた。
誰であれ、数種類の竹製楽器を数え上げることができるのではなかろうか。
尺八や篠笛、あるいは篳篥(ひちりき)、笙(しょう)などがある。
近ごろではアボリジニーの吹くディドゥリドゥを竹管で作る人もいる。

竹管にもいろいろの用途がある。
ラオ竹もそのひとつである。
きざみ煙草を吸うときに使うキセルは、火皿と吸い口から出来ている。
その二つを繋いでいるのが竹管である。
この竹は黒い斑点が入った竹で、東南アジアのラオスから渡来してので、ラオ竹の名が付けられたという説がある。
なぜラオスの竹が国外に出回るようになったのかはわからない。
ブラジルにも竹が生えていて、竹細工の盛んな地域もあるらしいのだが、その竹もラオスから移植したものらしい。
ポルトガルが植民地として統治していた時代に、アジアから移植したのだろうか。

ラオ竹の管は細く、タバコのヤニが詰まりやすい。
そこで、ラオ竹を掃除したり、新品と取り替えたりする羅宇屋(らうや)という職業が生まれた。
管の中のヤニを取るときは、蒸気を吹きつける。そのときに、ピーッという甲高い汽笛が鳴る。
その音が路地から路地へと響き渡ると、キセル片手の愛煙家が寄ってくるのだった。
わたしも、自転車の荷台に機材を積んだ羅宇屋の姿を、かすかに記憶している。
昭和二十年代のことには間違いないのだが、それがどこだったのか、憶えていない。

現在では死語にも等しい「キセル」であるが、「キセル乗車」の語は生きている。
電車や汽車に乗り、中間区間をただ乗りして、目的地へ行くことを表現している。
現在のように、鉄道の改札口が自動式ではなかったので、あの手この手のキセル乗車が可能であった。
まず、初乗り切符を買って乗車する。
最低運賃だけを払って乗り、降りるときはあの手この手で、駅の構外に出るわけである。
SLが客車を牽引していた時代は常習者が多かったことだろう。
客車の出入り口は手動式ドアーであり、ホームの反対側の口から簡単に下車降車できた。
そして、線路づたいに望む方角に出られた。

何本もの竹の節を抜き、それを繋いで、遠く離れた水源地から用水を自宅まで導いたりした。
現在ではビニール製か金属製のパイプが使われている。
また、半割にして軒先に据え付けて雨樋(あまどい)としても利用した。
樋竹は物売りが扱う商品でもあり、その呼び声は
「竹やぁ〜、樋竹(だけ)ぇ〜」
と語尾を長くのばす。
江戸川柳にも歌われている。

−− 長く呼ぶ 樋竹売りの とうる声 −− (ことだま柳)
樋竹売りは早くに消え、その通る声がどのようなものであったのか、録音されているわけではなので確証はないのだが、似た呼び声の物売りがつい最近まで聞こえていた。
物干し竿を軽トラックの荷台に積んで売り歩く商売がある。
その呼び声は「竹やぁ〜 竿竹ぇ〜」と長く延ばす。
近ごろはコインランドリーの店舗があちこちにでき、また、乾燥機能を備えた洗濯機が各家庭に普及するようになり、竹竿を使って戸外で洗濯物を干す風景は消えつつある。

竹の管の用途として、水分が多い田や畑の排水管として利用されている。
幅が五〇センチあるかないかの溝を掘り、まずは松や銀杏の葉を敷きつめる。
これらの葉は地中に埋まっている限り、百年間は腐らない。
その上から竹を長いまま投げ入れる。
何十本もの竹が重なった上から土を被せる。
そうした竹の道が地下にできると、暗渠の働きをして、竹の隙間をぬって絞り水が耕地の外に吐き出される。
葉の代わりに籾殻を入れるひと人もいる。
また、竹に替わって棕櫚の木を使うこともある。

近ごろでは竹の代用として、直径が10センチほどのビニールパイプが使われている。
パイプには小さな穴が開けてあり、搾り取られた水がパイプを通して排水口から流れ落ちる。
こうした工夫が田圃以外の排水溝でも活かされていた。
わたしがかつて住んでいた水戸市郊外でのことであるが、水戸徳川の時代に築かれた備前堀の改修工事が行われた。
それが地元紙で報道されたのを目にしたのだが、竹が掘り出され、それはた青々としていたそうだ。
もっとも、空気に触れたとたんにボロボロに崩れてしまったのだが。

竹には年輪がない。
樹木の多くは形成層があり、その層の働きは春夏に盛んで、秋には衰え、冬には止まる。
こうした寒暖の差が年輪を作り、輪の数を計算すれば、樹齢何年の木ということがわかる。
が、どの木でも年輪ができるわけではない。
熱帯地方の樹木には年輪がないものが多い。
寒暖の差がないから、形成層でつくられる細胞の大きさが年間を通して同じだからである。
冗談と思われる方もいるかも知れないが、人間も同じで、常夏の地では一年の区切りがわかりにくく、自分の年齢がわからない人もいるらしい。

竹に年輪がなくとも、何年ものの竹であるかは、枝分かれの数で測ることができる。
しかし、これは判別が難しい。
わたしは、竹の表面の色や光沢で判断している。
タケノコが生長してできた竹を一年モノといい、翌年、つまり丸一年経てば二年モノになる。
カゴやザルに使う竹は三年モノ以上が適している。
竹の繊維質が丈夫になるからだった。
だからといって年月を重ねれば良いというわけではない。
七年や八年になる竹は繊維質がもろくなり、丈夫なカゴを編める保証はない。

また、竹には節(ふし)があり、その高低や節と節との間の長短が、竹の育った環境を反映している。
竹の成長点は各節にあるのだが、窒素分が多く含まれている土壌では節間が長い。
成長が早いだけに、繊維質が粗いために、粘り強さには欠ける。
カゴの縁に巻く巻きヒゴには不向きである。
土壌の問題だけでなく、寒冷地だと成長が鈍いために節間が詰まっている。
そして、肉が厚い竹に育つから、弓なりになっても折れにくい。
大雪をも跳ね返すバネがあると言い換えてもいい。
逆に温暖地では、一夜にして一メートルを超える成長を遂げるので、肉は薄くなり、折れやすい。
もっとも、竹は原産地が亜熱帯地方であるから、北へ行くほど竹林は少なくなり、
北海道ではネマガリダケ(・・)という名の笹は生えているが、真竹は生えていない。
孟宗竹が函館の五稜郭に植えてあるが、細々と観賞用に生えているに過ぎない。

そんななかで、大雪も降る佐渡島では竹細工が盛んである。
なぜか?
暖流が島の周囲をウロチョロしているからである。
台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡で発生した黒潮が北上し、
本流は太平洋岸を洗うようにして北へ向かうのだが、九州南部では一部が枝分かれして対馬海流となる。
それが日本海へ抜けて後、佐渡島にぶち当たる。
島が温められるから、真竹も生長する。
緯度が高いので大雪も降る。
その重みにも耐えられる強靱さも身につけているから、重量物を跳ね返えすバネがある。
そうした竹に目をつけたのが、陸上競技の棒高跳びの選手達であった。
近代オリンピックが最初に開かれたのは1896年である。
競技種目に棒高跳びが加えられたのが何回目の大会からなのかは分からないだが、
世界のジャンパーは佐渡の竹を好んで求めた。
現在はグラスファイバーやカーボンファイバー製の棒に替わっている。


Writer

  • 稲垣 尚友
  • 稲垣尚友
  • この欄を担当することになりました稲垣尚友です。
    房総半島南端の街・鴨川の山中で竹カゴを編んでおります。
    修行をしたのは熊本県の人吉盆地の奥、市房山のふもとに近い錦町です。
     
    カゴ編みを生業とする前は、トカラ諸島の島々のひとつである平島(たいらじま)に住んでおりました。
    全島を覆うようにして、琉球寒山竹が植わっています。
    島ばかりでなく、あちらこちらと巡っているなかで見つけた仕事が竹細工です。
     
    現在は、竹という素材が暮らしのなかではあまり目立ちませんが、
    竹に関する資料は膨大で、竹冠の付いた漢字がポケット判『新字源』(角川書店刊)ですら、160あります。
    さらには、日本人が編み出した国字といわれる文字にもあります。
    よく目につく「笹」もそのひとつです。
    中国大陸で発行されている大字典には千近くあるそうです。
     
    竹冠に関する語のひとつひとつからは、永年にわたる人びとの暮らしぶりが伝わってきます。
    そうした、暮らしのなかでの竹の話を始めようと思います。

  • もっと読む

メルマガ登録