竹かんむり小話

稲垣 尚友

笞(むち)

2020.02.13

笹には浄める力がある。
同時に呪いをかける力も備わっている。
呪術力とでもいう不思議な力が働いているようだ。
先の回でも触れたが、都会でマンションを建てるにしても、さら地に笹を四本立てて、その結界の中に祭壇を設けて神主が御幣を振る。
また、神社の祭礼でも笹は欠かせない。
鳥居の外に祭礼幟を立てるが、その天頂部には笹がしつらえてある。

 

ここで付け加えておきたいことがある。
第一回目に、「竹」と「笹」の使い分けを説明したのだが、その際に区分けが厳然としていないと記した。
さらに混然としているのは、ウラ竹の葉のことを「笹」ともよんでいる。
竹の先端部、これをウラ竹というのだが、ウラ竹には節ごとに枝が伸びていて、それには葉が密に付いている。
そうした竹の葉のことをいう。
この用語は竹と区別するための「笹」ではなく、葉を付けた竹のことである。
ウラとは長い物の先端部をいうコトバであり、弓の上端のこともウラという。

 

笹の呪術力は古くから信じられていた。
神楽には採物(とりもの)というものがあるが、これは舞人が手にして舞う神聖な物で、神の降臨する依代(よりしろ)とされた。
世阿弥作の能の『百万(ひゃくまん)』では、生き別れた我が子に心を乱す母親の百万が、烏帽子をかぶり笹を手にして狂い歩く。
笹に神霊が乗り移り、そのおかげで、嵯峨の大念仏の日にわが子を見いだすことができた。
それで、採物の笹は狂い笹とも呼ばれている。
「狂が人々におそれられたのは、ただ正常を失って狂乱の状態にあることへの不安や警戒にとどまるものではない。
その狂乱の背後に、識られざる神の力、ある邪悪なるもののはたらきを感ずるからである」と、
文字学の泰斗である白川静氏が自著・『文字遊心』の中で説いている。

 

『百万』の狂女は笹を肩に掛けるが、歌舞伎の市川団十郎の家芸十八番にある『押し戻し』では、太い青竹を持つ者が花道より舞台におどり出ようとすると、反対に舞台から花道へ向かおうとする荒れ狂う怨霊・悪鬼に出逢い、青竹でなぎ倒して舞台に押し戻す。
青竹には、根元から引き抜くほどの力強さと、悪鬼を払いのける力があるのだった。

一陽斎豊国  国立国会図書館蔵

 

同じような仕草は日常のなかにある。
わたしがかつて住んでいたトカラ諸島のなかの平島では、小笹の束ねたものを海の潮(シオ)に浸け、それを左右に振ることでシオ飛沫を浴びたものが浄められる。
それを身体に浴びた者は、邪悪な悪病神を追い払うこともできる。
この笹束のことをシオバナ(潮花)と言う。
ここそこの神社で行われる湯たても同じである。
束ねたクマザサの小枝を大釜に沸かした熱湯に浸し、それを巫女が軽快な太鼓のリズムに合わせて、参詣の善男善女にふりかける。
その湯がかかった人は、その年は無病息災で過ごすことができる。
さらには、浄める力には、悪霊を払い除けるばかりでなく、呪い殺す力すら備わっている。

 

トカラ諸島の南には奄美の島々が横たわっているが、奄美大島本島南端にある瀬戸内町嘉鉄集落のユカリッチュ(縁人。旧家、分限者)の家に、今女(いまじょ)と呼ばれた女ヤンチュ(家人)がいた。
無残な死を遂げたそのヤンチュの呪いが、竹笹に託された話が語り継がれている。

 

ヤンチュというのは、売買ができる下男下女の総称であり、薩摩藩が奄美大島にもうけた独特の身分制度である。
ヤンチュたちは、同藩の財政を支えていた黒糖生産の主要な労働力であった。
課された収量の黒糖を納めることができなかった者は、身売りするしかない。
一度ヤンチュに転落すると、ジブンチュ(自分人、一般百姓)に復帰することは難しかった。
また、ヤンチュ同士の子どもはヒザ(膝)と呼ばれて、生涯をヤンチュとして生きることになる。
若くて美しいヤンチュが主人のネンゴロ(妾)になり、哀しい運命をたどる島唄はいくつも生まれている。
奄美の島唄が全国で聴かれるようになった昨今では、美人ヤンチュのカンツェメの悲話を歌いこんだ唄は特に知られるようになった。

 

今女もそうしたひとりである。
本妻の嫉妬をかい、笞打たれ、焼き火箸の折檻を繰りかえされるほどいじめられた。
奄美に住む民俗学者でもある恵原義盛氏が『奄美のケンモン』(海風社刊)という書物の中で詳述している。

ある日、今女は厳しい折檻を受け、屈辱に耐えかね、その夜、山に入って首をくくる。
主人は山中の捜索を15日続け、やっと遺骸を発見する。
そして自分たちの墓所に葬った。
今女の兄弟が遺骸を郷里へ持ち帰ろうとするが、主人は許さない。
遺体を見られたら、自分の妻が今女を打擲(ちょうちゃく)した傷跡が分かってしまうからだった。
兄弟は一計を案じて、遺骸の番人にサケを振る舞い、相手を熟睡させた隙に遺体を掘り起こして持ち帰った。

 

今女の身内の者たちは無念でたまらない。
いとしい遺骸に声をかけながら、「おまえは、こんな目に遭って、そのまま黙っているのか」と嘆息しながら、故郷の墓地に今女を埋葬する。
墓の上には根無し竹を逆さに突き刺した。
身内の者は墓参りするたびに、根づいて大きく育つた竹をゆさぶり、「かたきを取れ、かたきを取れ」と呪う。

 

今女が死んでからは、嘉鉄村のユカリッチュの家では不思議なことが絶え間なく続いた。
持ち舟が沈んだり、家族のなかに狂死者がでたり、自殺する者もいた。
明治の時代に入っても祟りが続き、その血筋の者はひとりもいなくなった。

 


Writer

  • 稲垣 尚友
  • 稲垣尚友
  • この欄を担当することになりました稲垣尚友です。
    房総半島南端の街・鴨川の山中で竹カゴを編んでおります。
    修行をしたのは熊本県の人吉盆地の奥、市房山のふもとに近い錦町です。
     
    カゴ編みを生業とする前は、トカラ諸島の島々のひとつである平島(たいらじま)に住んでおりました。
    全島を覆うようにして、琉球寒山竹が植わっています。
    島ばかりでなく、あちらこちらと巡っているなかで見つけた仕事が竹細工です。
     
    現在は、竹という素材が暮らしのなかではあまり目立ちませんが、
    竹に関する資料は膨大で、竹冠の付いた漢字がポケット判『新字源』(角川書店刊)ですら、160あります。
    さらには、日本人が編み出した国字といわれる文字にもあります。
    よく目につく「笹」もそのひとつです。
    中国大陸で発行されている大字典には千近くあるそうです。
     
    竹冠に関する語のひとつひとつからは、永年にわたる人びとの暮らしぶりが伝わってきます。
    そうした、暮らしのなかでの竹の話を始めようと思います。

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